考え-何者になるか

何者になるか、なれるか

これはずっと考えているテーマである。
「何者」って何なのか?と聞かれても、これといった定義はないが意味合いは伝わると思う。

ほとんどの人が何者にもなれない。
その穴を埋めてくれるのが、家族や子供だろうなと前から思っていた。
しかし、「自分以外に頼っている」というのが良いことではないとも思っている。

その人達がいなかったら、結局何者でもない。
「逃げ」に近いものだとさえ思っている。

実力

では、どうしたら「何者」かになれるのか?
役職や立場には昔から興味がない
相応の凄い人だったり実績がある人が就けることは分かっているが、そうでない部分もあるので、一概に言えない。

そんなものより、どんな人なのか?どんなことをしている人か?の方が興味がある。
過去の栄光をアピールされたり自慢話されるのは、好きじゃない。
今は大したことないと言っているのと同義だし、自らアピールしてくるというのが気に食わない。
本当に凄い人なら接しているうちにその凄さが分かってくるだろうから、自らどうこうするという必要はないから。

これを書いてて思ったが、結局、今実力がある人が好きなんだなと思った。

オリジナル

そう考えると、こういうことが出来ますという実力をつけるのが一番良いと思う。
しかし、実力だけの世界ではないということも分かっている。

スポーツは基本的に実力勝負で、全力で人間の限界に挑んでいるので好き。
そうじゃない世界は基本的に好きじゃない。

といっても、自分が何かの実力が飛びぬけているかというとそうではない。
だから何者にもなれない。
今から何かしら飛びぬけた実力をつけるというのも困難だし、つけたところで何者かになれるのか?というとそのイメージがつかない…

恐らく、飛びぬけた実力というのは、自分オリジナルの何かがあってかつ人の役に立つものだったら良いのだと思う。
とは言うものの、何かしら他の人を参考にしたりパクったりしているし、完全オリジナルなものを創り出すのは非常に困難だと思う。
このご時世0→1はもはや存在せず、1と1の組み合わせしかないという考えの人もいる。

そう考えていくと、自分なりに感じる貢献度が高いオリジナルなもので貢献度を感じるとより良いということなのだろうか。

皆はどういう考えなのだろうか?
そんなもんだと割り切っているのか、苦悩しているのか、何者かになろうと努力しているのか…

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