センチメンタル
久々に個人的な内容での更新。
ちょっとセンチメンタルな状態で書いてる。
久々に会った人やら連絡くれた人やら後述する人のことやら、妙に重なった日(公開日とは違う日)。

善い人
正直とか親切とか友情とか、そんな普通の道徳を堅固に守る人こそ、真の偉大な人間というべきである
───アナトール・フランス
大学~社会人数年時代を中心に、何かと言葉や格言に救われていた頃にこの格言に出会った。
それから、この言葉を大切にしている(つもり)。
この格言のような人は、自分の中で「善い人」と位置付けている。
良い人じゃなく善い人。
常識があるとか賢いとか頼れるとか、そういう要素もあるけど。
周りにはこういう人達だけであって欲しいと思っている。
いくら長年の付き合いだとしても、この格言からかけ離れているなと思った人とは距離を置くようにしている(だからほとんどいないんだけど)。
また会えるか分からない
明確な基準ではないし主観的であることもあり、なかなか「善い人」と思える人はいない。
そんななかで、「善い人」だなぁと思える人がいる(知っている範囲で)。
勝手ながら、救われた部分や変化した部分もあったりで、自分にとって影響がある人。
そんな人が、どうしようもない状態に陥ってしまった。
本人どころか誰にも責任はないし、自分はもちろん誰にも、助けようにも救おうにもそれは叶わない。
強いて言うなら、本人が頑張るしかないという状態。
なんでこの人が?という思いもあるし、自分だったらどうだろうか?とも思うし、今後自分がそうならない保証もない。
基本的に、日常はいつ終わるか分からないとは思っている、何度か死にかけたので(以前の記事参照)(といっても心からかは自信がないが)。
いくら元気な人であっても、必ずまた会えるとは限らない。
つまり、もう二度と会えないかもしれない、最期になるかもしれないんだなと思ってセンチメンタルになっている。
本当に感情が揺さぶられると、言葉にならない。
適当な言葉だと失礼だし後悔するだろう。
かといって、どうしたらいいかという正解も特にはないのだろう。
こういうときほど、何か伝えたいんだけど、色んな言葉が頭の中を逡巡して結果黙ってしまうということがある。
その場では如何ともしがたい感情である。
原動力
そういう人こそ、手助けしたいなと思う。
言葉にできずに漠然と思っていたことが、この記事を書いていてこれだと思った。
一部の分野においては、手助けが出来る可能性がある。
もちろん今すぐではなく、かなり後の話になるが。
こういう想いが、原動力になるんだなと思った。
今の仕事を始めたのはこの発想に近いし、皆さんに健康になってほしいと思っている。
ただ、その中で個人的にそう思えるのはまた違う感覚なんだな、と思った。
今は陰ながら応援するしかないのだが、もし手助けできる機会があるとしたら尽力しよう。
そういう想いで色々知識や出来ることを増やしていくという、1つの指標が出来た気がする。
そんな訳で、また会いましょうという話はしたし、また会えることを楽しみにしています。
というお話でした。