期待、する?しない?

老子も言っていた。

期待するな

って。
本当にその通りだなって思った。

※公開時期と書いている時期はだいぶ違います

どうでもいい

━━━今の僕を待ち受けるものに 何を当てはめていたのかさえ
   自分で分からなかったくせに
   勝手に失望していた
   『確かめに行こう』the pillows

どんなに小さなことでも、誰に対しても、何に対しても、「期待」しちゃいけない。
期待してるつもりがなくても、していることが多い。
そもそも期待って何?って思うくらいじゃないとダメだと思う。

1.期待する
(1)期待通りだった場合
   よしよし。
(2)期待未満だった場合
   なんでだよ!?なんでこうなるんだよ!?

相手は同じことをしているのに、こちらが期待しているかどうかでどう感じるかのこの差、大きすぎる。

2.期待しない
(1)思ったより上だった場合
   おぉ、マジで!?やったね!
(2)思ってたくらいの場合
   あ、やっぱりね。
(3)思ってた未満の場合
   はぁ?…はいはい

やっぱり差が大きい!
そもそも(3)思ってた未満の場合になることも少ないし、一番多いであろう(2)は「やっぱりね」で済む。

期待する・しないの中でも差が大きかった。
でも、一番の差は…
「1.期待する」と「2.期待しない」
ここの差!!

自分の心持ちだけで大きく違う
そもそも期待値ラインが高いから、それ以上で応えてくれること自体が少ない。
にも関わらず、下回ったら期待外れとか怒りとか、そういう感情が出てくる。

やっぱり、どう考えても「期待する」って行為いらなくね?

呆れ果てた

相手の立場とか年齢とかが上の場合、期待することが多い。
しかし、それでいて期待通りだった・期待以上だったことなんてほとんどない。
それでいて「裏切られた」って失望してしまう。

機械相手でもそう。
PCやスマホで、ちょっとしたロード時間とかにイラつく。
配送の時間が遅いとか、ボタン押したのに反応がないとか、いつもより遅いとか、そんなんでイラつく。

ぜーーーんぶ

期待しているから

じゃあ、期待しなきゃいいじゃん。
というようなことを、老子は言っているのだが、そううまくいかなかった。
やはりどこかで期待してしまっていた。
けど、さんざん期待外れなことをされていたうえで、怒るというより呆れ果てたことがあって、この「期待するだけ無駄なんだな」って境地にきた。

ここまでくると

どうでもいい

って気持ちになってきた。
だからこの記事を書いた。
これが無我とか空とか、老子とかが言ってた境地なんだろうなぁと。
こういうネガティブなことがきっかけで良いのか分からないけど

全部じゃないぞ

といっても、

自分には期待した方が良いぞ

とは思う。
というのも、何をやるにしても「自分は上手く出来るかもしれない」って期待がないと、「何をやってもダメだ」と何も行動に移せなくなってしまうから

やるのは自分
頑張るのは自分
良い結果を享受するのも自分

怪我の話をすれば、
怪我したのは自分
リハビリを頑張るのは自分
回復するのは自分
元気な身体を取り戻すのは自分

全て自分
その手助けをするために、本やコーチやマシンといった手段が色々とあるだけ。

頑張れるのも、変化を感じれるのも、情熱を捧げられるのも、全部自分。

こう書くと自己中心的かと思われるが、そりゃそうじゃん?
他人の気持ちや考え、痛みなんて分からないんだから、自己中心的な部分は絶対にある(綺麗事はんたーい)。

期待するってことは他人にゆだねるってことだから、そうならないようにするのも自分。
って書いてて思ったけど、上司が部下にする期待もあるよな~信頼って言ったりもするけど。
この辺はよく分からないけど、期待値ラインは高くて良いことないよって意味合いならば通じると思う。


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