心揺さぶられるとき

色々と考えごとをすることが多く、本を読んだり気づいたことを一部書いていく。

あのときああしていれば…

『四畳半神話大系』
森見登美彦の小説であり、アニメ化もされている。
以前アニメは見たことがあったが多少しか覚えておらず、最近原作の小説を読んで、アニメも再度見てみた。

めちゃくちゃ良い作品じゃないか…

なぜ多少しか覚えていなかったのだ…と自分に対して戦慄。

大学生になった主人公は、薔薇色のキャンパスライフを送りたいと考えていた。
各章でパラレルワールド(平行世界)となっており、A、B、C…と違うサークルに入った結果が書かれている。
そして、いずれのパラレルワールドでも「他のサークルであれば、もっと有意義で薔薇色のキャンパスライフを送れたに違いない」と思う主人公。
最終章では、サークルから追放されて四畳半に引きこもり続けた主人公が見た・感じたものとは…?

というようなあらすじ。

日常と身の回りのもの

(若干のネタバレ注意)

最終章がとても良い。

サークルを追放され四畳半に引きこもっていたら(つまり何も行動を起こさなかったら)、どこまでも四畳半が続く四畳半世界に引きずり込まれた。
永久に出られないのではないか?と思い始めてきた頃。
「銭湯に入りたい」
「猫ラーメンを食べたい」
「小津と下らないことを話したい」
等々、沢山の「こうしたい」が思い浮かんでくる。

それらは今までの「日常」であり、やろうと思えばいつでもできたこと

でも、実際の「日常」はもっと他に何かないか?と不足を感じて、求めて、憂いている。
本当はやれることは沢山身の回りにあって、それに目を向けていないんだよなぁと。

また、占い師の「好機はいつでも目の前にぶら下がっておりますぞ」もまさにそういうことなんだよな。
それが見えない・見えないフリをしているといっても過言ではないかもしれない。

今あるものや身の回りにあるものを大切に出来ているかどうか、これが1つの境目なのではないだろうか。
去る者は追わず、ついてきてくれる人を大切に。

たった数行のために

遂に四畳半世界から脱出した主人公。
パラレルワールドなんだけど、今まで打ちまくっていた布石から、遂に意中の人(明石さん)を食事(猫ラーメン)に誘うことができた。
(この部分に関しては小説とアニメで解釈が異なる。アニメでは毎回誘えずに終わっていたのが、最後に誘えたという昇華具合が好き)。

今までの「日常」では、いつでも食べられた猫ラーメン。
四畳半世界に閉じ込められて、食べたいと渇望していた猫ラーメン。
そして明石さんと一緒に食事が出来た(アニメではパラレルワールドで一緒に猫ラーメンを食べる約束をしている)。

主人公「(号泣しながら猫ラーメンをすする)」
明石さん「そんなに美味しいんですか?」
主人公「うん。うん。」
明石さん「それは素晴らしいことです」

この会話、マジで泣きそうになった

たったこれだけであるが、今までの蓄積や布石があるからこその感涙もの

そう思うと、オチだけ見るとかショート動画で見るとかだと、この感動は味わえない。
それまでの紆余曲折があるからこそ、この会話に感動できるのだ。

号泣した映画

題目は変わって、映画の最高瞬間風速は?と聞かれると

We bought a zoo

(直訳すると、『我々は動物園を買った』。邦題は”幸せへのキセキ”)
間違くなくこれ。

ご存じない?そうだと思う。
一時期、名作佳作と言われる映画を見まくっていた中の1つだが、どうも有名でない様子。
確かに、唯一と言ってもいいくらい途中で寝落ちしかけた作品なのだが、ラスト1分が物凄く良かった。
号泣した。

他にも泣いた映画はあるけど(結構泣き上戸です)、ラスト1分以外とのギャップなのか、自分のツボに刺さったのか。
言葉で説明できない感動、感傷
思い出すだけで泣きそうになる。

ラスト1分だけ見たら「ふーん」で終わると思うし、この作品を挙げる人なんて他にいないと思う。(作品全体で見たらトップという訳ではないです

名作と呼ばれているものが良いなんて「情報」であるし、客観なんていらない。
何かを知った途端に態度を変えるのは「情報」で動いている証拠だし、そうならないようにはしたい。
「情報」や客観が正しくて(科学的根拠がどうとか)、主観が間違っている(あなたの感想ですよね)ような風潮がある気がする世の中であるが、そんなことはない。

主観しかないのだから、これが好きって誇っていいのである

そして、

言葉などでは表わせられないものなのである

とか言いつつ、そんなに好きなものがないというジレンマ

良かったね~~~

まとまりのない文章になった。
久々に小説等で心が動かされて、何か書いてみたくなっただけ。

『四畳半神話大系』の小津のような悪友が欲しかったなぁとも思う、楽しかっただろうな、と。
実際に少し近いような(本人もそう言ってた)人はいたが、「運命の黒い糸で繋がっている」訳でもなかった。
その人とずっと一緒に遊んでいるパラレルワールドもあったってことか…あんま想像つかないけど

小説と映画を1つずつ挙げたが、振り返ってみると

「良かったね~~~」って心から思うものに弱いのかもしれない。

そう言いたい・思いたい人はいるけど、現状どうなっているかも分からないし、この先ずっと知ることがないかもしれない。
もしまた会えてそう思えたら、素敵なんだろうな…泣くかもしれないな(表じゃ泣きません)。
そして、自分自身に対して「良かったね~~~」と思えることが出来たら、もっと素敵なのだろうと、ふと思った。


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