教えるときに「言葉少なく・手短に」?
個人的な意見ですが問題提起でもあるので、「自分なら」と考えながら見てもらえると嬉しいです。
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言葉少なく・手短に?
「リアル筋力指導者資格」なるものがあり、資格を保有している。
「リアル筋力」を開発した㈱鍛錬が発行している資格であり、当然ながら試験がある。
知識と実践の2つあり、今回は実践の方に焦点を当てて書いていきたい。
(資格を取りたい!という人がいたら、どういう感じなのかをお伝えできるので、聞いてください)
本題はタイトルにも書いた通り「教える側としてどうすべきか」。
㈱鍛錬=リアル筋力本部のスタンスは
●言葉少なく・手短に
この「言葉少なく・手短に」が今回の焦点。
ちゃんと伝えようとすると
長ったらしく説明されるよりも手短に伝えた方が良い、という意見は分かる。
しかし、なるべく「言葉少なく・手短に」ってどうなんだろう?
丁度いい長さもあるし、決して「言葉少なく・手短に」が正義とは思えない。
何より、ちゃんと伝えようとしたときに「言葉少なく・手短に」だと伝わるとは思えない。
本当に分かってもらうなら、色々な表現や例えを使って理解してもらおうとするはず。
スポーツ面(ゴルフをやっているのでレッスン動画等は沢山見てきた)でいっても、「言葉少なく・手短に」とやっている人なんて皆無(むしろ長ったらしいくらいで、それが良いとも思わないけど)。
だって、伝わらないから。
では、どれくらい伝わりにくいか?
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いや、この画像間違ってるやん!!
…ほんと?
●あなたが「右を見て」と言われたとする
あなたはどう動いただろうか?
①首だけ自分の右を見る
②体ごと自分の右を見る
③伝えた人の左を見る(自分から見ると右)
④伝えた人の右を見る(自分から見ると左) ←言った人が「私の右側を見て」という意味なら画像の通りになる、つまり画像は間違いでもない
パッと考えてもこれだけあるし、色んな解釈が出来てしまう。
正解は1つにも関わらず「言葉少なく・手短に」した結果、相手に複数の解釈をもたせる言い方をするのはどうなんだろう?と思う。
(にも関わらず、思ったように動いてくれないと貶めたり責める言い方をすることもあって不可解)
ちなみに、どれくらい「言葉少なく・手短に」か?
「押し訓」でいうと
①座って
②膝つけて
③滑車に向かって押す
思ったのと違う動きをしたときに、「肘を曲げ伸ばしする」「ゴンと鳴るまで」などと修正する。
こんな感じ。
分かってる人からすれば、①②③で出来るかもしれない。
しかし、相手は初めてやる人である。
また、「その時だけ出来ればいい」のであればこれでいいかもしれない。
ただ、今後ずっとやっていくことなので、間違った使い方はしてほしくないし、他人の誤った動きを真似て欲しくない。
ならば、もっとしっかり最初から伝えるべきなのではないか?と思う。
手本の重要性
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───やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば人は動かじ
山本五十六
リアル筋力本部の言う「手短に」はもう1つの意味がある。
それは、「手本を見せない」。
これ、正直体を動かすことを教える側としては有り得ないと思う。
よく言われることだが「学ぶ=真似る」であり、まずは真似る手本がないと進みにくい。
手本を見せずとも「言葉だけで遠隔操作が出来るように」というニュアンスだとは思うが、それにしたって手本を見せないほど手短にすることに何の意味がある?と思う。
個人的には、手本を見せることで
●真似する(見る、理解する)能力がどれだけあるか?が分かる
●思った通りに体を動かす能力がどれだけあるか?が分かる
●手本を見ることで、他人のを見たときに間違っているところが分かる(間違った真似をしなくなる)
等とメリットが沢山あるので、やるべきだと思う。
ゴルフや剣術、杖術といった体の動かし方を学んでいるが、必ずお手本動画を見直す。
自分とどう違うのか?を見比べて、修正していく。
言葉だけで言われたら不可能。
手本を見て、自分の動きを見ない=イメージだけでも不可能。
ゴルファーあるある「自分のスイング映像見て、❝これ俺じゃない!❞」。
私も最初は何度もそう思ったし、いまだにこう動かしたいのに全然違う動かし方が映像には映ってくる。
それだけ、体を動かすということ自体は難しく、思い通りに動かないものである。
にも関わらず。
いくら単純動作であっても、「手本すら見せない」は理解に苦しむ。
ということで、皆さんも日常的に「教える側」になることがあるかと思いますが、どうお考えでしょうか?