代表・とさきってどんな人?(1)-死生観

※『寄生獣』より。最強の仲間ミギーが「死」を覚悟した瞬間
「意識が薄れていく 妙に眠い それなのに孤独感だけが くっきりと大きく………」

いきなり「死生観」と重たい言葉を使っていますが、切っても切り離せません。
何回かに分けて、自分の死生観について語っていきたいと思います。

生い立ち

その前に、生まれや育ちを言っても自己紹介にはあまりならないと思いますが…
広島県生まれ(らしい)で、何度か引っ越しをして埼玉県へ。

記憶があるのは埼玉県のときからなので、「育ちは埼玉県」と言っていますw
春日部市→大宮市(現さいたま市)→川口市→さいたま市、という埼玉県内を転々としています。

中学生「これが死か…」

早速、死生観の話に入ります。

一番最初に死を意識したというか、今までで一番死を覚悟したのが中学生のときでした。
当時ソフトテニス部に所属していまして、その朝練のときに事件は起こりました。

朝食も水分もろくに取らず全力でラリーを続けていて、コーチから「集合!」との声が。
部員が集まり、コーチからこれからどういう練習をするか、どういうグループ分けをするか等の話をしていたところ…

物凄い疲労感、思考力が落ちていき、徐々に意識が遠のく…
コーチの聞こえる声が徐々に小さくなっていき、極めつけはまぶたがめちゃくちゃ重くなっていく………

隣の人から「大丈夫?」のような声を掛けられた気もしたが、反応出来ず。
この時間ずっ~とまぶたを閉じたら死ぬと思って抗っていました。

しかし、「もう無理だ…まぶたが閉じてしまう…」と思った瞬間、

「これが………死か………」

そして意識を失いました。

死が怖くなくなった

気づいたときは、立ったままコーチから肩を前後に振られていました。
恐らく、意識を失って数分だったと思います。

当時の周りの人からは「みんなグループ分けで移動しているなか、1人だけ目を閉じたまま、生気を失った感じで立っていた」との声がありました。
死を覚悟した&受け入れただけに、意識が戻ってきたときは

あぁ、戻ってきたのか

という感じでした。

眠りとは少し違い、酸欠や脱水症状には陥っていたので苦しいのは苦しかったですが、そこまで苦しくはなかった気がします(今だからそう言えるだけかも?)。
もちろん初めてのことだったので、「うわあこんな感じなのか~」と生き延びようというよりも受け入れていました。

その後体の影響は特になかったのですが、心としては死を本気で覚悟した(受け入れた)ことがあるというのは貴重な経験だなと思うようにしました。
もちろん苦しい死は嫌ですが、そうでないなら特に死への恐怖はなくなったかな、と感じています。

次回、高校生「下半身不随…!?」

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